誰かに会って話をすることの必要性と重要性

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失業してから、一週間。
ほぼ毎日誰かに会って話をするようにしています。

ずっと出ずっぱりだったし、明日も出かけるので、今日は家に居ようと思っているのですが、
不安に押し潰されそうになるので(妻はパートをしながらなんでもっとでしょうけど…)、
ひょっとしたら出かけるかもしれません。

こういう時のためにうまく貯蓄とかしとけばよかったんですけどね。
それどころかビハインドもあったりで、
生き方を根底から変えてかなあかんなと思う今日この頃です。
(どなたかいいフィナンシャルプランナーいらっしゃったらご紹介ください・苦笑)

冒頭誰かに会うようにしていると書きましたが、逆で
誰かに会ってもらって話を聞いてもらってる訳で。
そうやって手を差し伸べてくれる人が居てくれてるというのが、
非常にありがたいことだとつくづく思います。

最近とみにお世話になってるカフーツの伊藤さんだったり、
前々職のマネージャー、
学生時代に働いていた電機屋さんのMフロアリーダーや
卒業して最初に働いた電機屋のFさんなどなど。
新しいところでは、土曜日に行った小脇でお会いしたみなさんと
お話できたのもうれしかったですね。
(もちろん、お会いできてないですけど、
いろんなところで気にかけてくださってるみなさんにも感謝です)

そのおかげかひとりじゃないというか、
楽観的…いや違うな…(人によってはそう見えてしまうかもしれないですけど)。
適切な言葉で言うなら「病むことなく健全」で居られる気がします。

静岡の時はそれができなかったんですよね。
付き合ってた人がほぼほぼ仕事関係の人ばかりだったし、
仕事以外に何か見出そうとしても、仕事の拘束時間が長いから
そうする余裕がなかった…。で、心が病んでった。

不安やフラストレーションとかって一人の時に増大すると思っていて
仮に人と繋がっていたとしても、繋がりに利害関係がある人とかだと
正直どんだけ仲良くても本音を吐くことができなかったりする訳で…。

一昨日、その静岡で働いていた時の会社のマネージャーに
ごはんに誘っていただいて話をしてて気がついたんですけど、
やっぱり一緒に仕事してた時より話がしやすい。気兼ねなく話ができる。
かなり長いお付き合いなので、仕事している時も普通の上司の方よりは
フランクにお話していたつもりだったんですけど、
やっぱどこかしらで気を遣ってたんでしょうね。

そしてもうひとつ気がついたことがあって、
不安やフラストレーションが許容量を越えて病んでしまった状態に陥ると
抑えが利かなくなってしまうと思うんですけど、
(暴力とか突発的な行動とかではなく、ここでは態度だとかちょっとしたやりとりのこと)
それが僕の場合は静岡の責任者に全部向かってたなと。
よく話に連れ出してくれてたんですけど、自分に余裕がないものだから、
ちゃんと話ができないし、利害関係にあるもんだから
向こうの話も全く聞き入れられないという最悪な状況に陥っていました。
完全にコントロール失ってましたね…。
あの時は目の敵みたいに思ってましたけど、
今思えば当たるところがそこしかなくて本当申し訳なかったなと思っています。

今は地元で時間にも気持ちにもそれなりに余裕があり、
幼馴染や学生時代の友達にも会えるし、
今まで働いてきた職場の上司や先輩にも会うことができる。
それはすごいいいことやなと。うまく分散できてると言うのか。
だからいろんな人との繋がりっていうのは本当大事にしたいなと思いました。

もうひとつ。人との繋がりをつくるに当たって大事やと思うこと。

自分の思っていること、考えていることを
誰かに聞いてもらうというのはすごく重要なことなんですけど、
それは社交辞令やとか気ぃ遣って物言うとかやと意味ないと思うんですよね。

一番いいのは嘘偽りなく本音で物を伝えるっていうごくごくシンプルなことなんですけど、
生きてく中で養われた常識とか世間体とか、つくられた立場とか、
それこそ利害関係とか…
今の世の中そういうものに惑わされてだんだん本音を
話せなくなってしまってるんじゃないかと思ってまして。

でも、誰かしらどこかで本当の自分を認めて欲しいって気持ち持ってると思うんです。
僕ももちろんそうですし。
だったらいろんなもの気にする前に自分の思ってることは
嘘偽りなく素直に伝えたほうがいいのかなと最近ものすごく思います。

それはいろんな人(本田直之さん・西村佳哲さん・駒崎弘樹さん)の本読んだり、
岡本達彦さんの講演を聴きに行ったり、
カフーツや小脇のJellyに行って感じたことなんですけど
他の人の発言や意見って何気ないことでも気付かされることがあるなぁということ。

自分の価値観で物見すぎて(仕事の業界だったらその世界に居すぎて)
見えなくなってることっていっぱいあるんですよね。
ってことは自分が思ってるどんなにしょうもない意見でも価値があるかもしれないってこと。
で、意外とその「しょうもない」って決めつけてるのは自分だったりする訳ですし。

それは最終的には僕が最近興味を持っているソーシャルメディアや
コワーキングでの人と人との関係性にも同じことが言えるんじゃないかなと思っています。

ソーシャルメディアはその人の人となりを知るための指標やと思っています。
だから誰彼のどんなにしょうもない呟きや書き込みも拾う。
で、それを実際にお会いした時の話のネタにしたり、
「こういうこと書いてはりましたけど、○○さんだったらできないですか?」とか
聞いたりしてみる。

コワーキングも基本Webとかやってる人が来られるパターンが多いですけど、
別に職業で制限している訳ではないし、
僕みたいに全然プログラミング知らん人の話がひょっとしたら響いて
新しい物作るアイデアになるかもしれない。

となると僕プログラミング知らんしな…と卑屈に思うことも、行くのを躊躇する必要もない。
自分の思っていることをそのまま言えばいいと思います。
「気にせず言えよ 言えばわかるさ」みたいな(笑)。

ひょっとしたらそんな自分のしょうもない意見から化学反応やスパークが起きて、
なんかつくれてしまったら、それこそステキやないですか!
でもそれにはやっぱ会って話をするって重要やと思います。

僕が今ソーシャルメディアやコワーキングという働き方に興味があるのはそこが理由です。
どんな人でも自分を認めてもらえるきっかけになるかもしれない。
でももし自分の発言がなんか取り繕った感じやったり、嘘やったら成り立たないですよね。
だから自分の思っている本音をきちっと伝えられるようにならないとなと思っています。

そもそもこれ自体長々と書いたけど伝わってるかなぁ?(苦笑)
日々精進です。

書いた人

1978年4月11日 大阪府高槻市生まれ

いろいろなところでいろいろな仕事をする「移働家(いどうか)」
ライター・コワーキング運営(主に間借り)・イベント企画・MC・ファシリテーター(キャラクター強い人たちをまとめるので「猛獣使い」と呼ばれる)・歩くみどりの窓口(楽しい移動方法の提案をしてる)などなど
アダルトチルドレン・離婚歴あり・家なし生活・#移働家の生活

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ひとりごと
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コメント

  1. 阪急電車8000系 より:

    甲子園に戻ってくるわけ?

  2. 助役 より:

    謙ちゃん飲まなあかんな。結局いまどこおってん?主任も自動的に淀屋橋から接続発車しますが…(笑)

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