桔梗信玄餅

ひとりごと
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16日に母方の祖母が亡くなりました。85歳。
日曜日が通夜式、月曜日が告別式でした。

僕は初孫やったんでほんまよう可愛がってもらって。もう思い出がありすぎてね。
そして亡くなるまでもいろいろあってね。
もっと会えへんかったのかとか、もっとなんとかできひんかったのかとか、
それはもう本当悔やまれることばっかりなんですけども…。
それでも最後親戚みんなが集まって泣きながら、
でも笑ってお別れできたからよかったんかもしれません。
この二日間はもう見られんくなるシーンが
いっぱいあった気がしてどれもが愛おしかった。
時間経たんといてくれって心から思っていました。

桔梗信玄餅は山梨の銘菓で、山梨に縁もゆかりもない僕らには
あまり関係ない食べ物のはずなんですが、
亡くなった祖母は遊びに来る度、行く度に
必ずと言っていいほど買ってきていて一緒に食べていました。

そんな思い出のおやつですが、どうやら最近は関西で売ってるところがないようで
でも最後やしなんとか持って行きたいなぁと思っていたところ、
偶然梅田の阪神百貨店で見つけることができ、告別式の日にみんなで食べました。

変わらぬパッケージ、変わらぬおいしさが記憶を呼び起こして、
包装のビニールが堅結びでようほどいてもらってたこととか、
テーブルをきな粉まみれにしてよう拭いてもらってたこととか、
野菜食べないかん、よく噛んで食べないかん、
ご飯粒は一粒も残しちゃいかんって言われてたこととか、
よう子守唄唄ってくれてたこととか、
トランプ遊びでズルして勝った後の後味の悪さとか
いいことも嫌なこともこれでもかってくらい、いろいろ思い出されて
嬉しいような悲しいようなようわからん気持ちになりました。

祖父母に当たる人が亡くなるというのは初めての経験で
どう気持ちに整理をつけていいのか全くわからないのですが、
整理なんてつけなくていいんでしょうね。そんな簡単につけれるわけないし。
しばらくはこのようわからん気持ちを抱えながら暮らしていくことになりそうです。

それにしても、栄枯盛衰が激しいお菓子業界の中で、
祖母が好きだった桔梗信玄餅が昔と変わらぬそのままのパッケージ、
そのままの味であり続けてくれたことが本当に嬉しかった。

多分祖母は桔梗をあしらった巾着みたいな入れ物が好きだったような気がするんです。
食べる度に祖母のことを思い出せるから、これからもそのままであってほしいな。

書いた人

1978年4月11日 大阪府高槻市生まれ

コロナ禍の閉塞感とまわりを気にし過ぎて自分を出せずに病み、適応障害と診断されたものの、幼少期から続く抑圧と愚痴聞きによる過剰適応らしく現在も心療科に通院中。
結局家族、お金、家を失い、いろんなところでいろんな仕事をする「移働家」として再起を図ろうと企み中。

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