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さじ加減




最近ものすごく「さじ加減ってなんやろ?」って思うんです。
空気読めってことなんかも知れないんですけど。
最初っからさじ加減なんてわからんもので、
その人とのやりとりの中で
「あぁ、この人やったらここまでやっていいんやな」って
覚えていくもんやと思うんですけど、
そのさじ加減の部分を第三者的立場で
「お前やり過ぎや」とか言われるのは
ちょっと違うと思うんです。

僕は不器用なのか、自分がこうしたいという希望が
強過ぎる人間やと思ってます。
ダマされてもいいから性善説で行きたいと思ってるし…
いや、ちゃうかもしれん。
性善説で行きたいけど、どこかしらで
ダマされたくないって思ってる。
これが本音やと思います。

性善説で行きたい一方で、
この世の中には陰と陽は必ずあって、
どちらかがなくなるということは絶対にないとも思っています。
そういう中で自分がどこまでしたいのか
という問題にいつもぶつかります。
「自分の希望」と「現実にできること」のバランスがとれない。

おおよそ僕の場合は「自分の希望>現実にできること」になってしまう訳で、
それに対してのフラストレーションが溜まってしまう。
「なんでできひんのやろう…」
ある程度割り切ってやりゃいいんですけど、なぜか割り切れない。
割り切れんことには自分がしんどくなるのもわかっているのに、
どうしても自分が納得するまで、なんとかできないかを考えてしまう。
そのさじ加減が見つからず、結果やり過ぎて自滅…。

こないだ言われたんは、
ある程度こっちが主導権握って話していかないと、
いつまで経っても拉致があかないってこと。
それも確かに納得。進めざるを得ない時は進めて行かなきゃいけないし。
それでも妥協してある程度のところで止めといたほうがいいのか、
やれるところまでやったほうがいいのかのジレンマはつきまとうんですよね。

僕は妥協してある程度のところで
止めといたほうがいいって思うんやったら、
いいものはできないと思っていて、
如何にクオリティ高く、いいものをつくるかという主眼のほうが、
やるほうも、やってもらうほうも絶対いいと思うし。
でも、ねぇ。という感じ。

なんだかまとまんないですけど、
さじ加減みなさんどうしてますかー?

書いた人
山﨑 謙
1978年4月11日 大阪・高槻生まれ 西宮市在住 某スマートフォンのフィールドトレーナーとして関西を中心に全国で活動。鉄道が好きで北海道の出張に寝台列車を使うほど。 本業以外にも喋ることが好きでイベントの司会をしたり、移動で得た知識を活用してライターとしても活動しています。
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ひとりごと
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コメント

  1. 久しぶりの呆B より:

    うい、毎度。ひさしぶりにHPを覗いたらエライ綺麗なレイアウトやん、驚いたわ。なんか色々悩んどるな、大いに悩みなさい少年よ。色々頭引っ掻き回して頑張ろうとしてるのはわかるけど“頭でっかち”になりすぎとらんかい?人間誰しも“あるべき姿(現状)”と“ありたき姿(理想)”のギャップに悩んでるし、ありたい姿になる為にどうするか?って事にがむしゃらに努力する人間がいたり、動こうとせん人間もおる。ダイエットなんか一番分かりやすくてその最たるケースと思う。生活でも仕事でも人それぞれこだわりがあるけど限られた時間で如何に自他共に納得させれるかって考えた場合、大きく角度を変えて考えるよりも半歩ずらして考える程度のほうが実は結果良かったりする場合が自分的には多い。例えば自分が上で書いてる「妥協」なんて言葉も自分が納得せずに作業/考え事に蓋を閉めた感じがするけどそれが「着地点」とか「落とし所(あ!同じか?)」って表現、ロジックに切り替えるだけでちょっとは見えてくる風景変るんちゃうかと思う。まじめに書きすぎてオチがなくて困ってるんやけどどないしよ?まぁ、足攣らん程度に頑張ればいいと個人的に思とるねんけどなー。ほら、足攣ったら痛いし。コムラカエリも無理したら木村カエラって読めるかもしれんしね。ま、がんばろーぜーー

    • 山﨑 謙 Ken より:

      ありがとう。コムラガエリが木村カエラって読めるってところで納得したわ…うそうそ(笑)。

      半歩。
      そうかもしれんね。なんかドラスティックに変えたいなって言うてることが多いかも…。
      でも大きく変えるのは難しいもんなぁ。
      半歩かぁ。半歩ずつやってこ。ありがとう。