デザインと人との繋がり

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昨日はいろいろリセットしていました。
髪切りに行ったり、とあるセミナーに参加して生活について考え直したり…。

家に帰ってから、録画していた「プロフェッショナル」水戸岡鋭治さんの回をようやく見ました。

水戸岡さんの名前は電車が好きな僕は前から知ってて、
それこそ独身時代はANAの超割で福岡空港へ行って、
そこから九遊きっぷという3000円でJR九州一日乗り放題というきっぷを買って
水戸岡さんがデザインしたつばめに乗ったり、ソニックに乗ったりしていました。

入り口はあくまで電車が好きでデザインカッコいいなというところに過ぎなかったのですが、
乗ったらいつもより満足気な自分が居る。
「俺、ソニック乗って来てん!」って子供みたいに自慢したい気持ちになっていました。
今回「プロフェッショナル」で見た水戸岡さんを見て、なるほどと思いました。

失礼ながらデザインをしている人、いやデザインに限らず、
何かを表現する人(音楽家、画家、作家など)は割とエゴイズムを持っている人が
多いんじゃないかなと思っていました。
それがたまたま人々の感性と合致して認められる。そういうものだと思っていました。

でも、違いました。
これは今回の「プロフェッショナル」を見たからではなく、徐々に気づいたことなのですが。

いろんな仕事を通して自分のデザインの技術を磨きながらも、
自分の表現を押し付けることなく、人のことを考え、それをどううまく公共に活かせるかを考える。

これは1月に放送された「クローズアップ現代」においてSANAAのお二人も
それに近いことをお話されていました。
公共空間のデザインについて、人と人が自然と繋がりを持てる空間作りをしていると。

お三方に共通するのは、世界的な活躍をしているにも関わらず、ものすごく謙虚であること。
そして、公共のためならと妥協を許さない強いこだわりを持っていること。
そんなステキな考え方をしている人が作るデザインだから
いろんな人に受け入れられる。そんな気がしました。

ステキなお仕事だなぁ。
自分ももっと早くに気づいて学生時代からデザインの勉強しておけばよかった(笑)。
そう思いつつ、自分も同じように自分にできることで、何かのお役に立てないかを考えています。

書いた人

1978年4月11日 大阪府高槻市生まれ

コロナ禍の閉塞感とまわりを気にし過ぎて自分を出せずに病み、適応障害と診断されたものの、幼少期から続く抑圧と愚痴聞きによる過剰適応らしく現在も心療科に通院中。
結局家族、お金、家を失い、いろんなところでいろんな仕事をする「移働家」として再起を図ろうと企み中。

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日記
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